■ 見ることの支援が必要性な理由
1996年のATACカンファレンスにおける弱視疑似体験実習をきっかけに始まった中野泰志氏らによる都立村山養護学校小低部(当時)における3年間にわたる継続的な研修を契機に、京都、奈良、東京において見ることの支援の取り組みが始まりました。
その中で、肢体不自由の子どもたちの中には、見ることに関して盲学校の子どもたちと同じ教育的ニーズを持っている方が少なくないことを知ることとなりました。それまで学校に入学してから卒業するまで「見えないようだ」「どのように見えているかわからない」「聴覚優位」とされていた子どもたちへの支援が始まりました。
ひとつひとつの支援の方法は決して難しいものではありませんが、子どもたちが「見えにくい」という状況にあるかもしれないということに支援者の注意を向けることが難しいこともわかってきました。このような場合、支援者の気づきを促すために「弱視疑似体験実習」が有効でした。
「見えているのか見えていないのかわからない」という状態から「見えにくい」ということが明らかになると、支援者の子どもたちへの関わり方が徐々に変わることを感じるようになりました。「見えにくさを軽減して工夫して見せる」ことに取り組むことによって、子どもたちが「気づいて見る」という相互交渉の成立を実感できることが、支援のさらなる動機を高めることに関係しているのではないかと推察しています。
コミュニケーションの困難さは、支援者の側の「困難さ」の可能性もあるということを実感しています。
「見えていないようだ」として、見せることをあきらめるのではなく、見えにくさを軽減するちょっとした配慮と工夫が子どもたちの学ぶ意欲を力強く支えていくと感じています。
また、「見えているようだ」として、見えにくさを軽減する配慮や工夫は必要ないとするのではなく、生活や学習上の困難さが見えることの困難さに関係していないか、注意を向ける必要があります。
奥山 敬 (東京都立光明学園)